スーパーファミコンは、1990年11月21日に任天堂が発売した据え置き型ゲーム機。
価格は25000円。
(1996年8月14日に9800円に値下げ)
ファミリーコンピュータの次世代機です。
ちなみに、スーパーファミコンが正式名称であり、決してスーパーファミリーコンピュータではありません。
ファミコンではカラーが52色しか表示できませんでしたが、スーパーファミコンでは32768色に大幅アップ!
正に次世代機としての圧倒的な性能を誇っていました。
コントローラはファミコン時代と同じく十字キーを採用。
ボタンは2つから6つへ増加しました。
ボタンの配置は、A・B・X・Yを右側に十文字に配置、
コントローラ上部左にLボタン、右にRボタンという構成になっています。
このボタン配置は、後の多くのゲーム機でも採用されており、
ゲームコントローラのスタンダードな構成が、この時点で既に確立していたと言えるでしょう。
ACアダプタやRFスイッチ(ゲーム機とテレビを繋ぐケーブル)は、スーパーファミコン本体とは別売でした。
これは、価格を何とか25000円に収めようとする苦肉の策でした。
しかし、ACアダプタやRFスイッチはファミコンのものが流用できるため、
ファミコンユーザーは、特に問題なく遊べたのです。
余談ではありますが、スーパーファミコン以降の任天堂据え置きハード (ニンテンドウ64・ゲームキューブ・Wii)は、
全て25000円で販売されています。
任天堂は、ハード普及のための価格上限は25000円であると考えているようですね。
当初は、ファミコンとの互換性を持たせる予定がありましたが、
結局互換の採用は見送られました。
また、ソニーと共同で、スーパーファミコン用CD-ROMアダプタ
"プレイステーション"の開発が進められていましたが、後にこの計画は破談となりました。
(関連リンク:PSは任天堂が発売する予定だった!?)
しかし、ソフトの大容量化に伴い、価格が高騰したことは、大きな問題だったと言えるでしょう。
後期には定価が1万円を超えるソフトも珍しくなく、ファイナルファンタジー6(11400円)や、
ドラゴンクエスト6(11800円)といったビッグタイトルも例外ではありませんでした。
当時はROMが高騰していた時期であり、それがソフト価格にも影響していたのです。
ネオジオのソフトが3〜4万円もしていたことも同様の理由です。
しかし、これだけソフトが高価格化しても、多くの有力タイトルに恵まれたため、
PCエンジンやメガドライブといったライバルハードをあっという間に蹴散らし、
スーパーファミコンは、ファミコンに続いて市場を制覇したのでした。
しかし、今後任天堂据え置きハードが長きにわたって低迷することになるとは、
当時は知る由もなかったのです…。
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