カセットビジョンは、エポック社から1981年7月30日に12000円で発売された家庭用ゲーム機。
ファミコンが発売されるまでは、日本で最も売れた家庭用ゲームハードでした。
累計販売台数は約40万台と言われており、
当時の日本ゲーム市場の約7割がカセットビジョンによるシェアだったというのは驚きです。
1983年7月19日には、廉価版のカセットビジョンJr.も発売されました。
価格は5000円で、ソフト入れ替え式の据え置き型ゲーム機では史上最安値です。
当時のソフト入れ替え式のゲーム機はだいたい30000〜60000円程度で、非常に高価でした。
そんな中、カセットビジョンは12000円(ただし、アダプタは別売りで1500円)、
カセットビジョンJr.は5000円と破格の安さで販売されていたのです。
この安さが、当時のゲーム市場をリードしていた一因だったのです。
価格が高いゲーム機は売れないというのは、今も昔も変わりませんね。
しかし、ファミコンの発売によって状況は一変します。
1983年7月15日に発売されたファミコンは、カセットビジョンを遥かに凌駕する性能であり、
更にソフトラインアップも比べ物にならない程に充実していたのです。
カセットビジョンは次第に勢いを失い、ファミコンに市場を奪われていったのです。
これに対抗し、エポック社は1984年7月17日に、後継機スーパーカセットビジョンを発売します。
価格も14800円と、ファミコンと同価格に抑えることで勝負を挑みました。
ですが、当然ながらファミコンには全く歯が立たずに市場から姿を消すことになりました。
(スーパー)カセットビジョンはサードパーティーの参入を認めておらず、
ソフトは全てエポック社製のものでした。
(他社の移植ソフトもいくつかありますが、それらもエポック社を介して発売されていました)
そのため、終始ソフト不足だったことは否めませんでした。
結果、カセットビジョンは全11タイトル、スーパーカセットビジョンもわずか30タイトルに留まりました。
ちなみに、ファミコンはサードパーティーのソフトも多数発売されていますし、
ソフトも累計で1000タイトル以上が発売されました。
(スーパー)カセットビジョンなど、まるで相手にならない状態だったのです。
以後、エポック社はゲームハード事業から撤退、後にファミコンのサードパーティーとなります。
正直なところ、一時エポック社が市場をリードしていたのは、
ゲーム業界黎明期故の、低レベルな市場だったからにしか思えません。
まあ日本のゲーム市場を制覇していた会社として、任天堂・ソニーに並ぶ存在であると言える………のかも?
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