ドンキーコングは、任天堂が1981年に発売したアーケードゲーム。
1983年7月15日には、ファミリーコンピュータのロンチタイトルとして発売(移植)されました。
ディレクターは宮本茂氏。
本作のタイトルはドンキーコングですが、ドンキーは敵であり、主人公はマリオです。
ゲーム業界で最も有名なキャラクターであろうマリオは、このゲームから生まれたのです。
元々はポパイを題材にしたゲームを開発する予定でしたが、
ポパイの版権を所有しているキング・フィーチャーズ社との交渉が上手く行かず断念。
そこで、当初のゲーム案はそのままに、
キャラクターだけオリジナルのものに入れ替えて開発することになったのです。
ポパイと言えば、主人公"ポパイ"と、その恋人"オリーブ"、
オリーブを奪い取ろうとする"ブルート"の3人によるコメディアニメ(コミック)です。
この3人の関係は、そのままドンキーコングにも活かされています。
(マリオ=ポパイ レディ=オリーブ ドンキーコング=ブルート)
マリオはジャンプを駆使しながら上へ進み、ドンキーコングにさらわれたレディを救出するのです。
ちなみに、開発当初は主人公に名前はありませんでした。
宮本氏は、"ジャンプマン"や"ミスタービデオゲーム"などの仮の名前で呼んでいました。
アメリカ任天堂が借りていた倉庫のオーナーがマリオ・セガリという名前で、
彼がドンキーコングの主人公に似ていたことから、マリオと名付けられたという逸話があります。
ただし正確には、マリオの名が付いたのは続編(?)のドンキーコングJr.からです。
(関連リンク:マリオは何故ヒゲのオッサンなのか?)
ドンキーコングは裁判沙汰になったこともあります。
映画キングコングの権利を主張するアメリカ大手映画会社のユニバーサル社が、
「ドンキーコングはキングコングのパクリだ!」と、アメリカ任天堂(NOA)に訴えを起こしたのです。
実際のところ、ドンキーコングとキングコングに類似点はほとんどなく、完全な言いがかりです。
しかし、アメリカは訴訟大国と揶揄されるぐらい、こういった訴えは日常茶飯事です。
特にユニバーサル社は、過去に何社にも同様の訴えを起こして金をせしめ取っていた会社です。
ドンキーコングのヒットで勢いづいていた任天堂が目を付けられたことも致し方ないでしょう。
いくらドンキーコングがヒットしていたとはいえ、当時の任天堂はまだまだ弱小企業でしかなく、
会社の規模では、大手映画会社のユニバーサル社とは比べ物になりません。
普通なら、素直に和解金を支払って決着するところでしょう。
ですが、任天堂は屈することなく裁判に臨んだのです。
この時任天堂に雇われたのは"ジョン・カービィ"弁護士。
カービィ氏は非常に優秀な弁護士で、
「ユニバーサル社のキングコングの権利は既に消失して、パブリックドメインとなっている」と指摘します。
それどころか、「タイガー社が発売しているキングコングのゲーム(ユニバーサル社のライセンス品)
こそドンキーコングの模倣である、タイガー社から受け取った権利料は任天堂に支払われるべきだ」と、
逆にユニバーサル社の特許侵害を訴えたのでした。
裁判は任天堂の主張が全面的に認められたことで完全勝利。
ユニバーサル社は、任天堂の訴訟費用約200万ドルを支払う結果となったのです。
実はユニバーサル社は、自社がキングコングの権利を有していないことを知っていました。
元々、キングコングは1933年にRKO社が製作した映画です。
その後、1976年にユニバーサル社がリメイク版キングコングを無断で製作し、RKO社から提訴されました。
しかしユニバーサル社は、
「RKO社は既に権利を消失しており、キングコングはパブリックドメインとなっている」と指摘、
この主張が認められ、裁判に勝利していました。
つまりこの時点で、キングコングの権利は、RKO社にもユニバーサル社にもないということを、
ユニバーサル社が自ら証明していたのです。
にも関わらず、ユニバーサル社はキングコングの権利でいくつもの会社を訴え、
金を毟り取ってきていたのですから、何とも見下げ果てた会社です。
1976年版キングコングの裁判において、ユニバーサル社が勝利した=キングコングの権利を取得していた、
と多くの会社が誤解していたため、ユニバーサル社の訴えに屈してきていたのです。
そもそも、ユニバーサル社のような大会社が、
作品の権利もなく訴えを起こしているとは、誰も考えもしなかったでしょう。
ともあれ、カービィ氏のおかげで、任天堂はユニバーサル社に鉄鎚を下したのでした。
現在の任天堂の法務部は非常に優秀なことで有名ですが、
それはこの裁判で勝利したことで培われたものだと言えるでしょう。
裁判を勝利に導いたカービィ氏には、任天堂からヨットが贈られ、
そのヨットは"ドンキーコング号"と命名されたそうです。
また、任天堂の代表作の一つである"星のカービィ"は、
このジョン・カービィ氏から名付けられたとも言われています。(ただし諸説あり)
結果的に、アーケードでドンキーコングは大ヒット。
一台2000ドルの筐体でありながら、非常に好調な売れ行きとなりました。
販売台数は一年間で約5万台、売上げは1億ドル(当時の為替では約333億円)にも上り、
経営難だったアメリカ任天堂を救ったのでした。
また、ファミコン版ドンキーコングも、ロンチタイトルとして普及に貢献しました。
ドンキーコングのヒットは、後に任天堂がゲーム市場で大躍進する最初の一歩だったのです。
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