ソニーはサードパーティーを誘致するにあたって、任天堂とは違ったアプローチを行っています。
任天堂は、かつてのアタリショックの再来を危惧し、 サードパーティーの年間発売タイトル数を制限したり、
ソフト製造費用は半額の前払いを義務付けるなどしていました。
しかも、ファミコンカセットは生産に時間がかかるため、 予め多めに生産する(=前金が増える)ことが通例でした。
つまり、メーカーはある程度の資金を持っていなければ、ファミコンでソフトを発売できないのです。
これは、任天堂が絶対に儲かるシステムであると同時に、
弱小メーカーが参入してソフトを粗製濫造しないための措置でもありました。
その点、ソニーはとにかく多くのサードパーティーに参入を促しました。
例えば、他社のゲーム機の開発機材は数百万〜一千万円以上するのが普通でしたが、
プレイステーションではこれを150万円程度に抑え、参入へのハードルを低くしたのです。
しかも、ソフトは製造コストの安いCD-ROMのため、 サードパーティーは製造委託費を安く済ませられたのです。
更に、ソフトは既存のソニー・ミュージックエンタテインメントのCD工場で行われていたため、
リピートが迅速に行え、機械損失を防ぐこともできたのです。
そして、ハードのデザインや宣伝に気を使い、今まで子供のおもちゃとしか見られていなかったゲーム機を、
大人でも楽しめるというイメージを与えることで、ユーザー層の拡大を狙ったのです。
(今のソニーとはえらい違いだ…)
このように、サードパーティーが参入しやすい体制を整えた結果、
多くのメーカーがプレイステーションに参入することを決定しました。
中でも、ファイナルファンタジー7(スクウェア)の発売は、プレイステーションを大きく盛り上げました。
ファイナルファンタジー7の移籍発表後、 更に多くのサードパーティーがプレイステーションにソフトを提供するようになります。
そして、ドラゴンクエスト(エニックス)のプレイステーションへの移籍発表がダメ押しとなり、
市場の流れは完全にプレイステーションのものとなったのです。
最終的なサードパーティー数はなんと500社以上!
その結果、ソニーはゲーム業界では新参者であるにも関わらず、 膨大なソフトラインアップを獲得できたのでした。
ただ、これだけ参入メーカーが多くなると、当然クソゲーも相当数に上ります。
プレイステーションは、圧倒的なトップハードであると同時に、圧倒的なクソゲーハードでもあったのです。
何とかアタリショックの二の舞だけは避けられましたが…。
結果的に、プレイステーションはライバル機ニンテンドウ64を抑え、トップハードの座を獲得、
ゲーム史上において、初めて任天堂に勝利したハードとなったのでした。
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プレイステーション誕生秘話Part.1 裏切りの任天堂編
プレイステーション誕生秘話Part.2 ハード構成編
プレイステーション誕生秘話Part.3 援軍ナムコと不運のセガ編
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