ドラゴンクエストのプログラマー、中村光一氏。
高校生の頃から、天才プログラマーと呼ばれていた中村氏は、
パソコン雑誌に自作のゲームを投稿して、多くの原稿料や印税収入を得ていました。
中村氏は、1982年にエニックスが開催したゲームホビープログラムコンテストにドアドアで応募しました。
当時発売されたばかりのPC-9801が欲しかったのですが、高額で手が出なかったため、
このコンテスト(優勝賞金100万円)で稼ごうという目論見だったようです。
ですが、順位は惜しくも2位(優秀プログラム賞=50万円)に終わりました。
中村氏は、このコンテストに入賞していた堀井雄二氏と知り合い、
後にドラゴンクエストのメインプログラマーとして活躍することになるのです。
このコンテストで最優秀プログラム賞(1位)に選ばれたのが、
森田和郎氏の作った戦略シミュレーションゲーム"森田のバトルフィールド"です。
森田氏は、後に森田将棋などで一躍名を知られることになります。
森田将棋という名前からすると、森田さんという棋士が監修した将棋ゲームと思ってしまいがちですが、
実際はただのプログラマーです。
ちなみに、森田氏は雑誌インタビューで、
「コンテストの一ヶ月ぐらい前に、エニックスの人たちが来て、作ってくれと言われて。
食事もおごられてしまった(笑)」と発言しているようです。
これを出来レースと見るか、コンテストの箔付けに優秀なプログラマーに参加してもらったと見るかは、
何とも判断が難しいところです。
まあ、実際森田のバトルフィールドは作品のデキも優れていますから、
1位であることに不思議はないのですが。
ゲームホビープログラムコンテストに入選した13作品は全て商品化され、好調な売れ行きを記録します。
その結果、エニックスは一躍パソコンゲーム市場での影響力を強めていくことになるのです。
1984年4月9日、まだ大学生だった中村氏はゲーム会社チュンソフトを設立します。
高校時代からプログラマーとして活躍し、大学時代には社長にもなるという、
中村氏のその行動力はすごいものです。
ちなみに、社名の"チュン"は、中村の"中"の字からきています。
このチュンソフトが、後にドラゴンクエストのプログラムを担当することになるのです。
1985年、ファミコンの好調な売れ行きに目を付けたエニックスは、ファミコン市場への参入を決定。
第一弾は、ドアドアの移植でした。
移植を担当したのはもちろんチュンソフト。
パソコン版ドアドアは8万本程度の売上げでしたが、ファミコン版は20万本ものヒットになりました。
ファミコン市場が有望と見るや、エニックスはすぐさま次の作品をファミコンに投入します。
それがパソコンで人気を博していた堀井氏作のアドベンチャーゲーム"ポートピア連続殺人事件"の移植です。
実際はRPGを作りたかったのですが、ファミコンでRPGは前例がなく、
子供達には受け入れてもらえない可能性を危惧していました。
そこで、文字情報を処理していくという点では同種であるアドベンチャーゲームを先に発売して、
評判を見ることにしたのです。
余談ですが、このゲームの犯人はヤスであることが非常に有名となっていますが、
これを最初にバラしたのはビートたけし氏です。
ラジオ番組のスタジオにゲームを持ち込んで実況放送していた際の出来事のようです。
そんなネタバレがあったにも関わらず(あったからこそ?)、本作は累計70万本のヒット作となりました。
アドベンチャーゲームの成功により、ファミコンでもRPGは受け入れられてもらえると判断、
エニックスは"ドラゴンクエスト"の開発に着手することになるのです。
ドラゴンクエストは、ドアドア、ポートピアに次ぐ、エニックスのファミコンソフト第三弾です。
一作目から150万本のヒットを記録したドラゴンクエストですが、
その後、ドラゴンクエスト2、ドラゴンクエスト3で更なる人気を博しました。
ドラゴンクエスト(正確にはポートピア)で確立した、
堀井氏がデザインしたゲームを、チュンソフトが開発し、エニックスが発売するという体制で、
エニックスおよびチュンソフトはゲーム業界で大きく成長していったのです。
ただ、ドラゴンクエスト5を最後に、チュンソフトはドラゴンクエストの開発から離れることになります。
シリーズを重ねる毎にスタッフの数が増え、それを統括することが困難になってきたという事情のようです。
また、ドラゴンクエストの開発は、あくまでエニックスの下請けであり、
自分達でオリジナルのゲームを作っていきたいという思いもあったようです。
事実、その後チュンソフトは自社タイトルであるサウンドノベル弟切草を発売して、
パブリッシャーとしても活躍するようになるのです。
しかし、近年は中々ヒット作に恵まれず、経営は厳しい状態が続いており、
2005年にはドワンゴに買収されてしまいました。
かつては若き天才プログラマーと呼ばれ活躍していた中村氏ですが、
その現状は何とも寂しく感じてしまいます。
ドラゴンクエストから離れたことは、チュンソフトにとって良かったことなのでしょうかね?
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