ゲーム業界において多大な功績を残したり、後の業界に影響を与えた人物を10人選びました。
ルール
・日本市場での実績を評価する(海外市場は考慮しない)。
・ゲームクリエイターに限らず、業界に関係する人物全てを対象とする。
・現在の系譜に繋がらない作品の評価は高くないものとする。
・筆者個人の主観が多分に含まれています。
(明確に順位を決定してはいませんが、概ね上から順番に並んでいると考えて下さい)
宮本茂
任天堂の専務取締役情報開発本部長。
マリオ・ドンキーコング・ゼルダの伝説など、数々の名作ゲームを生み出しました。
また、スーパーファミコンのL・Rボタンや、
ニンテンドウ64のアナログスティックも宮本氏のアイデアであり、ハード面についての影響力も高いです。
世界で最も有名なゲームクリエイターとして知られています。
2008年の"世界で最も影響力のある100人"の電子版で1位を獲得しました。
堀井雄二
アーマープロジェクト代表。
ドラゴンクエストの生みの親。
RPGというマニア向けだったゲームを、誰でも遊べる作品に仕上げました。
高橋名人
本名、高橋利幸。
かつてはハドソンの広報として活躍していました。
1秒間にボタンを16回押す16連射で人気を博し、ファミコン時代を代表する人物となりました。
その人気振りは、本人出演の映画が制作されるほどでした。
現在はハドソンを退社し、ゲッチャコミュニケーションズに在籍中。
岩田聡
任天堂社長。
山内家以外の人物が任天堂の社長となったのは初めてのことです。
DSやWiiによってゲーム人口を拡大し、低迷していた任天堂の経営を立て直しました。
自身はプログラマーとしても超一流の腕を持っています。
横井軍平
かつて任天堂に在籍していた開発者。
ゲーム&ウオッチやゲームボーイを開発。
ゲームコントローラでは当たり前の入力デバイスとなっている十字キーも横井氏のアイデアです。
1997年10月4日、交通事故に遭い死去。
久夛良木健
プレイステーションを開発した中心人物。
サードパーティーが参入しやすい仕組みや、CD-ROMによる流通改革などを行い、
プレイステーションは、ゲーム史上において初めて任天堂を打ち負かした存在となりました。
しかし、プレイステーション3の失敗の責任を取って、SCE役員職から退くことになりました。
田尻智
株式会社ゲームフリークの社長。
ポケットモンスターの開発者。
ポケットモンスター赤・緑は、日本ゲーム市場で最も多く(800万本)販売されたソフトです。
そのポケットモンスター赤・緑は、開発に6年もかかったのでした。
坂口博信
元スクウェアの開発者で、ファイナルファンタジーシリーズの生みの親。
ドラゴンクエストと差別化をはかり、日本の2大RPGとして市場を盛り上げました。
中でも、ファイナルファンタジー7は、プレイステーションをトップハードへ導いた最大の立役者です。
しかし、映画ファイナルファンタジーの歴史的大失敗により、スクウェアを退社。
現在はミストウォーカーの代表取締役。
アレクセイ・パジトノフ
ソビエト社会主義共和国連邦科学アカデミーのコンピュータ部門でテトリスを開発。
テトリスのヒット後、亜流作品であるハットリスを開発しましたが、こちらはさっぱり売れませんでした。
現在では、アメリカのゲーム会社ザ・テトリス・カンパニーを運営しています。
山内溥
任天堂前社長。
ゲームについての知識はさっぱりなのに、面白さの真髄を見抜く能力は超一流。
横井軍平氏や宮本茂氏の才能にいち早く気付き、その能力を開花させました。
岩田聡氏を次期社長に任命し、一線を退きました。
宮本氏は世界でも高く評価(むしろ海外の方が人気が高い)されています。
間違いなく、世界ナンバーワンのゲームクリエイターであると言えるでしょう。
その点、堀井氏や高橋名人は日本以外での活躍はほとんどありません。
日本では高い知名度を誇っていても、世界的には無名というのは、何とも興味深いことです。
しかし、ここに挙げたクリエイター達は、みんなゲーム業界黎明期から活躍している人達ばかりであり、
これは逆に言うと、近年はゲーム業界に大きく貢献した新規クリエイターが存在しないということでもあります。
新たに有望な人材が現れない限り、ゲーム業界の衰退は止まらないのかもしれません。
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