ソニーの作ったプレイステーションは、発売された1994年以降、約10年にわたって、
日本および世界のゲーム市場を席巻していました。
プレイステーションが生まれた経緯はどのようなものだったのか、解説していきたいと思います。
プレイステーションを作った中心人物である久夛良木健(くたらぎ けん)氏。
1980年代当時、まだソニーの一社員に過ぎなかった久夛良木氏は、
デジタル時代の到来を予見し、ゲームは将来のエンターテイメントの中心になると確信していました。
しかし、ソニーはあくまで家電メーカーであり、ゲーム事業についてのノウハウがありませんでした。
(実は、EPIC・ソニーはファミコンソフトを開発していたこともあったのですが)
そこで、当時ファミコンでゲーム市場を席巻していた任天堂にアプローチし、
スーパーファミコンの周辺機器として、ソニー製のCD-ROMアダプタを採用するという確約を取り付けました。
実は、この周辺機器の名前がプレイステーションだったのです。
業務用の高性能コンピュータをワークステーションと呼びますが、
それをもじって、遊びで使うコンピュータということから、プレイステーションと名付けられました。
しかし、1991年6月、任天堂はソニーとの契約を突然破棄し、
「スーパーファミコンのCD-ROMアダプタはフィリップスから発売される」という発表を行いました。
(実際に発売されることはありませんでした)
この任天堂の突然の裏切りは、CD-ROMのライセンス料を全てソニー側が得る契約だったからとか、
最初からCD-ROMを採用する気はなかった(ライバルゲーム機への牽制のためのブラフ)、 とも言われています。
この行動に、当然久夛良木氏は激高します。
そして、自分達だけでゲーム業界に参入する決意を固めたのです。
しかし、ソニーの経営会議では、役員全員がゲーム業界参入を諦める方針を打ち出していました。
「ソニーが負けていい相手は、悔しいけど松下だけ」
「任天堂などという京都の花札屋に万が一負けたらどうするんだ!」
というつまらないプライドがあったようです。
ですが、久夛良木氏の必死の説得により、大賀社長はプレイステーション開発の続行を決定したのです。
任天堂と縁を切った後も、プレイステーションの名は継続されました。
既に全世界で商標権を登録してしまっていたため、
新たな商標を獲得するには時間がかかりすぎるということから、名前の変更を行わなかったのです。
※これは筆者の曖昧な記憶であり、内容についての保証は致しかねますが、
この時既に、プレイステーション2とプレイステーション3の商標も獲得していた、 という話を聞いたことがあります。
まあ商標は、実際に製品化されるかわからないものでも一応登録しておく、というのはよくあることですが、
ともすれば、ソニーがプレイステーション事業を長きに渡って続けていく、 という決意の表れだったのかもしれません。
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プレイステーション誕生秘話Part.3 援軍ナムコと不運のセガ編
プレイステーション誕生秘話Part.4 サードパーティー誘致編
プレイステーション誕生秘話Part.5 その後のプレイステーション編
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