セガはゲーム業界黎明期から活躍していたメーカーです。
1983年からハードメーカーとなり、ゲーム市場のリードを試みましたが、幾度も任天堂やSCEが立ちはだかり、
2001年のハード事業撤退まで一度たりともトップハードになることはできませんでした。
セガは実力的に大きく劣っていたわけではないのでしょう。
ただ、ちょっと間が抜けていたり、運が無かったりしただけなのです。
これまでのセガの軌跡を振り返ってみましょう。
1983年、アーケードゲーム業界で名を馳せていたセガは家庭用ゲーム業界にも参入します。
それが、7月15日に発売されたSG-1000とSC-3000というハードでした。
(SG-1000はSC-3000からキーボードを排除した廉価版で、実質的には同じハード)
おそらく、ある程度ゲームに詳しい人でなければ、このゲーム機の名前は聞いたことがないでしょう。
実際、ほとんど売れることなく市場から姿を消しました。
その最大の原因は、SG-1000(SC-3000)の発売日である1983年7月15日と同日に、
任天堂がファミリーコンピュータ(以下ファミコン)を発売したことです。
ファミコンといえば、知らない人はいないであろう大ヒットゲーム機です。
もちろん、ファミコンが発売前からが爆発的ヒットになるとは知る由も無かったでしょうが、
同日に発売してしまうというのは、何とも間が悪いです。
ファミコンの圧倒的人気の前では、他のゲーム機が太刀打ちできるはずもありません。
セガの家庭用ゲーム業界参入第一弾は、何とも苦い結果に終わったのでした。
ちなみに、SG-1000とSC-3000は、その発売日の不遇ぶりから双子で死産と揶揄されました。
1988年、セガはアーケード版テトリスを発売しました。
テトリスといえば、言わずと知れた大ヒットパズルゲームです。
セガは翌1989年にアーケード版テトリスをメガドライブに移植すると発表。
メガドライブのキラーソフトになると期待されました。
しかし、発売予定の1989年4月15日を間近に控えたある日、
メガドライブ版テトリスは急遽発売中止を余儀なくされました。
それどころか、その2ヵ月後にはライバル会社任天堂からゲームボーイ用のテトリスが発売されたのです。
いったい何が起こったというのでしょう?
これにはテトリスにまつわる複雑な権利が絡んでいるのです。
そもそも、テトリスを最初に作ったのは、ソ連のアレクセイ・パジトノフという人物です。
ソ連は共産主義国家ですから、何かを発明しても権利は個人のものにはなりません。
テトリスの大元の権利を所持していたのは、ソ連の国務機関アカデミーソフトです。
そして、アカデミーソフトからの委託でライセンス業務を担当していたのが、
ELORG(エローグ)という組織です。
テトリスの面白さに目を付けたアンドロメダソフトは、エローグからライセンスを獲得します。
しかし、エローグがアンドロメダソフトに許可したのはパソコン用ゲームに限った権利でした。
つまり、家庭用ゲーム機や、アーケード用にテトリスを販売する権利は所持していないということです。
ところがここで、アンドロメダソフトが勝手な行動に出ます。
「どうせ後からライセンスを得れば問題ないだろう」と高を括り、
パソコン向け以外のテトリスの権利までも、サブライセンスという形で他社へ認可したのです。
セガが取得したのも、このサブライセンスでした。
正確に言うと、エローグ→アンドロメダソフト→ミラーソフト→アタリ→テンゲン→セガと、
間にいくつもの会社を挟んだサブサブサブサブライセンスです。
(ちなみに、ファミコンでテトリスを発売したBPSも、セガと同じくテンゲンからライセンスを得ています)
セガとしては、このライセンスで家庭用ゲームでの販売もできるものだと信じきっていたのです。
そんなある日、任天堂はゲームボーイでテトリスを発売するためにエローグにライセンスを申し込みます。
エローグはそこで初めて、自分たちのあずかり知らぬところでテトリスが発売されていたことを知ります。
この事実に任天堂も驚きましたが、すぐさまエローグと交渉し、
家庭用ゲーム機を含んだ関連ライセンスをすべて取得します。
激怒したエローグはアンドロメダソフトとの契約を即刻打ち切り、
テトリスに関する全てのライセンスを剥奪してしまいます。
ライセンス所有の大本がその権利を失ったことで、当然ながらセガのライセンスも無効となってしまいました。
よもや、自分がライセンスを受けたのは紛い物であったとは想像もできなかったでしょう。
ファミコン版のテトリスを販売していたBPSもライセンスを失うことになりましたが、
新たに任天堂から許諾を受け、そのまま販売を継続することができました。
しかし、セガにしてみればライバル会社の任天堂からサブライセンスをもらうわけにもいかず、
メガドライブ版テトリスは凍結せざるを得ませんでした。
既にセガの倉庫には、完成したメガドライブ版テトリスのソフトが山積みされていたのですが、
それらが日の目を見ることはありませんでした。
テトリスが発売できていれば、メガドライブはもっと普及できていたかもしれません。
こういう詰めの甘さは、やっぱりセガなのだなと感じます。
1989年に任天堂が発売した携帯ゲーム機ゲームボーイは大ヒットしていました。
セガはそれに対抗し、翌1990年に携帯ゲーム機ゲームギアを発売しました。
モノクロだったゲームボーイに対し、ゲームギアはカラー。
さらにチューナーを使えばテレビも見れるなど、性能はゲームボーイを圧倒していました。
ゲームギアはこの高性能を武器にしてゲームボーイに勝負を挑んだのです。
…そして、惨敗しました!
(国内売上げ=ゲームボーイ2000万台以上・ゲームギア178万台)
失敗した最大の原因はバッテリーの持続時間の短さでした。
ゲームギアは、単三アルカリ電池6本でわずか3時間ほどしか遊べませんでした。
(ゲームボーイは単三アルカリ電池4本で約35時間)
画面をカラーにするには、消費電力の多いバックライトを使用する必要があるため、
当時の技術ではこの持続時間が限界だったのです。
任天堂がゲームボーイをモノクロにしたのも、バッテリーのことを考えた結果でした。
ちなみにゲームギアのCMは
「で、ようへい君は白黒なの?つまんないね」
というゲームボーイを挑発するような内容でしたが、売上げを見る限りセガがあまりにも滑稽です。
しかし、発売前にこれではまずいと誰も思わなかったのでしょうか?
こんな大きな欠点を抱えたまま発売してしまうのが、セガのセガたる所以なのでしょう。
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