ニンテンドーゲームキューブは2001年9月14日に任天堂から25000円で発売された据え置き型ゲーム機。
ニンテンドウ64の後継機ですが、互換性はありません。
ソフトは8センチの独自光ディスク(容量は約1.5GB)で提供されました。
任天堂が光ディスクメディアを採用したのは初めてのことです。
独自ディスクを採用した理由は、既存のディスクを使う場合はライセンス料がかかるため、
また、違法コピー(海賊版)を作りにくくするという意味があります。
ちなみに、この後に発売されることになるWiiやWiiUに使われているディスクもDVDやBlu-rayではなく、
それに酷似した独自ディスクになっています。
任天堂のゲーム機は非常に壊れにくいことで有名ですが、中でもこのゲームキューブの堅牢ぶりは特筆ものです。
高所から落下させたり、ハンマーでぶっ叩いたり、車に繋いで引きずり回したりしても壊れないというすさまじさです。
(この様子はYouTubeなどで視聴できます)
前世代機ニンテンドウ64は開発が困難だったことでサードパーティーから敬遠されてしまったという反省を踏まえ、
ゲームキューブはゲーム開発がしやすい構成となっています。
その結果、サードパーティーのソフト発売数はニンテンドウ64時代よりも増加しました。
ニンテンドウ64時代と違って、ゲームキューブは性能などでプレイステーション2とのマルチ化がしやすかったことも好都合でした。
しかし、国内ハード売上げはニンテンドウ64(550万台)を下回る404万台に終わりました。
これは任天堂据え置きゲーム機における最低記録です。
また、ソフト売上げも振るいませんでした。
任天堂の顔ともいうべきマリオ(スーパーマリオサンシャイン)ですら約827000本とミリオンには届かず、
結局100万本を超えたのは"大乱闘スマッシュブラザーズDX"(約150万本)のみという寂しい結果でした。
このように苦戦した理由は、発売がPS2に比べて遅すぎたことが挙げられます。
ゲーム機戦争において、一度流れに乗ったハードの勢いを止めるということは困難です。
当時は既にプレイステーション2が圧倒的な普及を見せており、
ゲームキューブは発売した時点でもう負けが決定していたと言っても過言ではない状態でした。
また、ゲームキューブにはプレイステーション2のようなDVD再生機能は備わっておらず、
ゲーム以外の用途での牽引力がありませんでした。
そこで、2001年12月14日に松下電器産業(現パナソニック)から、
ゲームキューブにDVD再生機能を備えた互換機"Q"(キュー)が発売されました。
しかし、通常のゲームキューブよりも15000円程度高く(実際はオープン価格ですが39800円ぐらい)なっていることや、
プレイステーション2の普及によってDVDプレイヤー需要が既に満たされていたことなどが影響し、
Qの販売は振るわずに終わりました。
実はゲームキューブには3D立体表示に対応した回路が組み込まれており、
専用のディスプレイがあれば3D立体視が可能だったのです。
しかし、この機能が使われたソフトは1本も発売されませんでした。
当時はまだ立体視用の液晶は高価(ゲームキューブ本体よりも)だったため、実際に活用するのは困難だったようです。
というよりも、この機能が内蔵されていると公表したのは2010年になってからのことです。
そんなことを長らく隠したままにしていたというのが、何とも任天堂らしいなと思うのです。
(関連リンク:3DSが裸眼で立体に見える仕組み)
ゲームキューブは世界累計でもわずか2174万台に終わりました。
プレイステーション2は世界累計1億台以上ですから、これはもう全く勝負にもなっていません。
それどころかXboxの約2400万台にも及ばず、屈辱の世界最下位となってしまったのです。
かつてファミリーコンピュータで市場を制覇していた頃の面影はまるでありません。
しかし、この冬の時代を経験したことで、任天堂は自社開発能力を高め、
ニンテンドーDSやWiiでその力を存分に発揮することになるのです。
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