ドラゴンクエストの生みの親(シナリオ・ゲームデザイン担当)である堀井雄二氏。
大学時代からライターの仕事をしていた堀井氏は、
大学卒業後も就職はせず、フリーのライターとして活動していました。
ある日、仕事で使えるんじゃないかと思ってパソコン(当時はまだマイコンと呼ばれるもの)を購入するも、
三日ぐらいで仕事には使えそうもないことが判明。
仕方なくパソコンでゲームを遊んでいると、その面白さにハマってしまい、
すぐにプログラムを覚えて、自分でゲームを作って遊ぶようになりました。
これが、堀井氏がゲームクリエイターの道へ進むきっかけだったのです。
そんなある日、堀井氏は、週刊少年ジャンプ編集者の鳥嶋和彦氏に出会います。
堀井氏に鳥嶋氏を紹介したのは、当時からジャンプでライターとして活躍し、
後に桃太郎電鉄シリーズなどの開発を手がけるゲームクリエイター、さくまあきら氏です。
鳥嶋氏もゲーム好きであり、堀井氏とはすぐに意気投合。
その縁から、堀井氏もジャンプでライターをすることになったのです。
鳥嶋氏は、堀井氏のライターとしての能力を高く評価しており、
原稿は完璧で直しを入れる必要が全くなかったと語っています。
ただ、原稿を書くのがものすごく遅いとも。
ドラゴンクエストの文章センスの素晴らしさ、反面、シリーズ発売間隔が非常に長いことは、
この鳥嶋氏からの評価に通ずるところがありますね。
1982年の夏、堀井氏は鳥嶋氏から、ゲームホビープログラムコンテストの取材を命じられます。
ゲームホビープログラムコンテストとは、エニックスが主催するゲームクリエイター発掘イベントです。
優勝賞金は100万円という大規模なもので、エニックスはこのコンテストに大きな期待を寄せていました。
エニックスは、今でこそスクウェアと合併したことでソフト開発部門が存在していますが、
エニックス時代は、後にも先にも、自社にソフト開発部門は存在していませんでした。
エニックスにあるのはソフト企画部門のみであり、
エニックスが企画したゲームを、外部の開発会社に委託することで、ソフトが作られていたのです。
(いわゆる、パブリッシャーとデベロッパーの関係)
言ってみれば、エニックスはある種の他力本願的なゲーム開発をしているのです。
このゲームホビープログラムコンテストも、当時はゲーム開発とは全く縁遠かったエニックスが、
ゲーム事業で一山当てるために、外部から優秀な人材を集めるという目論見で開催されていたのです。
余談ですが、エニックスがゲーム会社になる以前は、
持ち帰りの寿司チェーン店などを経営していたこともありました。
これがさっぱり上手くいかなかったため、パソコンゲームソフトの開発に乗り出したのです。
ところが、エニックスはパソコンにもゲームにも造詣が浅く、
ソフトを流通する販路なども全くない状態で、何ともいきあたりばったりな会社運営をしていたのです。
まあ、結果的にゲーム事業で大成功を収めるのですから、これはこれで良かったのかもしれませんが…。
閑話休題
堀井氏は、自分が作っていたテニスゲーム"ラブマッチテニス"が丁度完成したタイミングだったことから、
自身もこのコンテストへ応募し、入選を果たしました。
結果的に堀井氏は、自分が受賞したコンテストへ自らが取材に趣くという、
何とも奇妙な体験をすることになったのです。
ちなみに、以下の動画が堀井氏の作ったラブマッチテニスです。
…30年前のゲームとはいえ、今見ると、何ともショボイですね。
このゲームホビープログラムコンテストで、優秀プログラム賞(2位)に選ばれたのが、
後にドラゴンクエストのプログラムを担当することになる中村光一氏です。
このコンテストを通じて、堀井氏は中村氏と知り合うことになったのです。
1983年、堀井氏と中村氏は、エニックスのアメリカ研修旅行に参加し、
アップル社のパソコン展示会を見学しました。
そこで、ウィザードリィやウルティマといった、コンピュータRPGの始祖と呼べる作品に出会います。
ウィザードリィやウルティマを通じて、RPGの面白さを知った堀井氏、中村氏は、
自分達もRPGを作ってみたいと思うようになります。
ただ、パソコンでのRPGはいくつも発売されていたものの、
ファミコンでRPGを作るというのは前代未聞のことでした。
ファミコンのソフト容量は非常に小さく、
初代ドラゴンクエストの容量はわずか64キロバイトしかありませんでした。
これは、携帯電話の待ち受け画像一枚分程度の容量なのです。
こんな小さな容量でRPGを作るのは絶対に不可能だと思われていましたが、
堀井氏は類まれなるアイデアによって、これを実現したのです。
詳しくは以下を参照下さい。
(参考リンク:容量削減の創意工夫)
しかし、問題だったのは容量についてだけではありません。
当時のRPGというジャンルは、遊ぶうえで理解していなければならないルールが非常に多く、
内容も複雑で、一部のゲームマニアにしか楽しめないものだったのです。
そこでドラゴンクエストは、ウィザードリィやウルティマの良い部分を踏襲しつつ、
わかり辛い部分は極力排除し、誰にでも遊べるように再構築することを目指したのです。
ストーリーが非常にシンプル(魔王を倒して姫を助ける)なのも、
RPGを初めて遊ぶ人にも取っ付きやすいように配慮してのことです。
また、堀井氏は当時ジャンプ誌面でファミコン神拳というファミコンソフト紹介記事を担当しており、
その記事内で、RPGというものの基礎知識や面白さなどを紹介していったのです。
こうした堀井氏の心配りがあったからこそ、ドラゴンクエストの大ヒット繋がったのでしょう。
ドラゴンクエストのナンバリングタイトルは、2013年現在までに10作が発売されています。
その多くが300万本を超えるヒットを記録しており、今尚高い人気を誇っているのです。
これだけ高い人気を続けていられるのは、堀井氏の類まれなる才能あってこそでしょうね。
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