プレイステーションといえば、ソニー(SCE)のゲーム機であることは言うまでもありませんよね。
「プレイステーションは任天堂のゲーム機だ!」なんて言う人はいないでしょう。
しかしながら、実は本当にプレイステーションは任天堂から発売されていたかもしれないのです。
いったいどういうことなのか、ご説明しましょう。
1980年代後半、任天堂はファミリーコンピュータの後継機スーパーファミコンの開発に着手していました。
その当時、ソニーの久夛良木健(くたらぎけん)氏は、CD-ROMの売り込みに注力していました。
久夛良木氏はデジタル時代の到来を予見しており、ゲームは将来のエンターテイメントの中心になると確信していました。
そして、ソニーがそのエンターテイメントをリードする存在でありたいという願望がありました。
その実現には任天堂の力が必要であると考え、スーパーファミコンに自社製のCD-ROMドライブの採用を打診していたのです。
結果的には、スーパーファミコンにCDドライブが採用されることはありませんでした。
しかし、久夛良木氏の努力は実を結び、スーパーファミコンの音源チップはソニー製のものが採用されることになりました。
更に、スーパーファミコンの周辺機器としてソニー製のCD-ROMアダプタを採用するという確約を取り付けました。
久夛良木氏の狙い通りに事は運んでいました。
開発は進み、いよいよスーパーファミコン用CD-ROMアダプタの正式発表をするという日が近づいてきました。
しかし、その直前の1991年6月、任天堂はソニーとの契約を突然破棄し、
「スーパーファミコンのCD-ROMアダプタはフィリップスから発売される」という発表を行いました。
(実際に発売されることはありませんでした)
任天堂が何故このような行動をとったのかは定かではありません。
"CD-ROMのライセンス料を全てソニー側が得る契約条件だったから"とか、
あるいは"任天堂は最初からCD-ROMを採用する気はなかった(PCエンジンCD-ROM2やメガCDなどの牽制のためだけに行ったブラフ)"
などといった噂はいくつも流れていますが、実際のところはわかりません。
ともあれ、これでソニーのスーパーファミコン用CD-ROM開発は打ち切られたのです。
実はこのCD-ROMアダプタのコードネームがプレイステーションだったのです。
両者の関係が続いていれば、プレイステーションは任天堂のゲーム機となっていたでしょう。
当然ながら、久夛良木氏はこの仕打ちに激怒し、 任天堂と敵対することを決意したのです。
自分たちでゲーム機を作り、任天堂のシェアを奪うのだと。
プレイステーションはスーパーファミコンの周辺機器から、ソニーのゲーム機に生まれ変わったのです。
久夛良木氏の執念は実を結び、プレイステーションはニンテンドー64を抑え、圧倒的な普及を見せました。
結果、任天堂は10年以上に渡って守り続けていた家庭用ゲーム機トップシェアを奪われることになるのです。
任天堂にしてみれば、かつての仲間に打ちのめされることになったのは、何とも皮肉なものです。
もしソニーと喧嘩別れしていなければ、任天堂はずっとトップシェアでいられたのでしょうか。
その未来も是非見てみたかったものです。
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